〈今週のお題〉行ってみたい時代
怖いので本当は嫌です。
でも透明人間になって見てみたい時代。
それは昭和17~20年。
太平洋戦争の時代です。
私は平和学習をした小学生から約20年、戦争の本をたくさん読んできました。
戦争のTVがやってたら必ず録画、資料館や展示がやってたら見に行ってきました。
そんな戦争オタクなんです。
もちろん戦争は反対です!
たぶんきっかけは広島で、原爆体験を被爆者の人に聞いてから。
「二度と戦争を起こさないように、後世に伝えていってほしい」
そういわれたんです。
変にまじめな私は、それを守ろうと、戦時中の色々を調べてきました。
知ることが、平和を守ることだと思ってきたから。
でも最近、無力だなとつくづく感じて、歯がゆい気持ちです。
何か出来ることはないのか。
なにもない1人のしがない主婦には何もできません。
今まで20年かけて調べてきたことはすべて無駄だったのか・・・
でも戦争オタクだなんて、リアルで話したら引かれますしね・・・
(この間幼稚園でうっかりばれて、それ以来コイツはやばいという目で見られているような…(^^;))
とりあえず私に今できることは、息子に伝えること。
広島で聞いた、”後世に伝える”こと。
そんな本当に小さなことしか出来ないけれど、この先何かあった時につらい目に合うの息子達ですから。。
息子3人いる私としてはほんと歯がゆいけど、今は息子に教えるしかないんです。
今年11歳の長男に、この夏、太平洋戦争時代の話をたくさんしました。
私の戦争オタクの原点でもある広島にも行き、原爆の痕跡も見てきました。
息子1人が知ってなにか出来るわけではないですが、戦争ってなんでわるいのかな?と曖昧でいるより、ちゃんと知ることでちゃんと反対の声を上げてほしい。
私は思うだけで何もできなかったけど、息子たちの未来は息子達で守れるようになってもらいたいです。
と偉そうに話してきましたが、やっぱり本やTVで見ただけでは、私もどこか他人事なのです。
なので本当に当時の戦地に行って、現実を見て、本気で伝えていけたらなと思いました。
それが私が昭和17~20年に行ってみたい理由です。
最近私が読んでよかった本です。
戦火と死の島に生きる
全員玉砕といわれたサイパンで戦地を見た女性が書かれた本です。
手りゅう弾で自決しましたが、米軍に助けられ生き残られました。
当時サイパンや、広島へ原爆を落としたB29のエノラゲイが飛び立ったテニアン島は、日本から移住した開拓民がたくさん住んでいたそう。
初めて知ったので、とても興味深かったです。
こちらは3巻あるうちの3巻目。
個人的には1巻が1番興味深かったです。
燃える日本列島
児童書なので読みやすかったです。
当時戦地へ行った方は昭和生まれより大正生まれが多かった。
なので、書かれた本も難しい言い回しや漢字ばかり出てきたりします。
そうでなくとも聞いたことがないような単語が並んでるので、読むのに時間がかかる。。
今はなかなか時間がないので、児童書ばかりになっています(^^;)
これはお父さんやおじいちゃんが、自分の子供や孫に説明するような書き方をされていて、
また偉い地位の人ではなく一般の人が書いているので、知らなかった細かいことまでわかりやすく書いてあり、とても興味深かったです。
基本的にこういった一般の人が書かれた体験記が好きです。
大体の歴史は調べればたくさん出てきますが、細かいことはこういう体験記を読まないとわからないですから。
1番よかった本で記憶にあるのは、沖縄戦で刑務所の人が囚人を連れて逃げた体験記で、水色の表紙をしてた気がするのですが、残念なことにタイトルは忘れてしまいました。
また出逢ったら再度読みたい本です。
当時の戦地を見て現実を知りたい、と書きましたが、それは見なければいけないこと、という感じがするというか…
本当は1番見てみたいのは、戦艦大和です!
大和が大好きなんです(^^)
当時、生きていくだけでも大変だった時代。
配給だけでは暮らしていけなく、闇市でこっそり高いお金を払って何とか生きるための食糧を買う時代。
決まりを守って配給だけで暮らした裁判官が、栄養失調でなくなってしまった、そんな時代に大和は存在してました。
大和ホテルと皮肉を言われるほどだった戦艦。
現在でいうと19階建てくらいの高さがあり、クーラー完備、ほかの船はお風呂は塩水だったそうですが、真水に変換する装置がついていて真水のお風呂に入れたそう。
46センチの主砲が3基もついていて、これが40キロ近く飛ばすことができたそうです!
フルマラソンとほぼ同じです!
そんなすごい船、私の想像力では全く想像できません。
だからこそ見てみたいです!
大和ミュージアムにも行きました。
私と、大和が沈んで70年と2日で生まれてきた末息子。
70年前、大勢の方が命をかけて作って下さった平和な未来を、この子や息子の子供たちに繋げていきたいものです。
もちろん、日本だけでなく、世界中の平和を私は願っています。